駒場野公園


近代農学発祥の地

明治11年 「駒場農学校」が誕生し、欧米から外人教師を招いて、先進国の農業技術を学ぶ教育がスタートしました。
アメリカの農業を教育の柱にした、クラーク博士で有名な札幌農学校に対して、
もっぱらドイツ農法に範を求めた駒場農学校は、やがて大農場のほかに、園芸・植物園、家畜病院などまで備えた“農業の総合大学”に発展し、優秀な農業技術者を次々と世に送り出していったのです

駒場農学校は東京農林学校になり、さらに東京帝国大学農学部、東京教育大学農学部と形を変えながら、昭和53年、教育大農学部が筑波へ移転するまで、この地で農業教育の灯を燃やし続けました

老農・船津伝次平

駒場農学校の教師の中に、船津伝次平という一人の日本人がいました。群馬県の赤城山麓で優れた農業指導者として知られていた伝次平は、農学校で教鞭をとる事になったのです
この時、既に46歳、講義のかたわら、学生達と一緒に開墾のクワをふるって実習田をつくりました。
経験を重んじる在来の日本農業に西洋の近代農法を積極的に採り入れた「混同農事」といわれるもので、その後、この農法は全国に普及していきました。
こうした功績により、伝次平は後に「明治三老農」の一人に数えられています。

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