瀧 泉 寺
 


天台宗の座主 慈覚大師 によって大同3年(808)開山。 その後火災で焼失したが、三代将軍家光が再建した。

目黒へ鷹狩に来た時、本陣をこの寺に置いて以来、歴代将軍の保護を受け栄えた。
寺は景勝に恵まれ、江戸庶民の信仰と行楽地として人気があり江戸から明治、大正にかけて繁栄をきわめ、門前町も賑わった。

境内は台地の突端に広がり、きれいな清水が湧き、老樹がおい繁り、独鈷の瀧が開創以来千百有余年とうとうと落ちている。
壮麗をきわめた古い建物は戦災で大半を焼失したが、本堂・仁王門・書院・鐘楼などが再建された。焼け残った 「前不動 」や 「勢至堂 」は江戸中期の仏堂建築として貴重な文化財といわれている。
仁王門の左手、池の奥に 「恵比寿 」が祀られている。

 

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前 不 動
 


独鈷の瀧の左手、「前不動」 と呼ばれる小さなお堂があります。

目黒不動が隆盛を極めていた頃は、将軍家や諸大名などの参拝が度々あり、
そうした日には一般の人が本堂に立ち入ることは禁じられていました。
その為、本堂まで行けない庶民の参拝用に、この前不動が建てられたといいます。

 

 

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比 翼 塚
 


比翼塚は 平井権八を熱愛した新吉原の花魁 小紫が鈴が森で刑死した愛人権八のあとを追って、その墓前で悲壮な自害をとげたという。
人びとは二人の悲恋を哀れみ、来世で契りが結ばれるようにと、地元の人達によってたてられました。

 

 

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青 木 昆 陽 の 墓
 


江戸の初期に、甘藷(サツマイモ)の栽培を広め、貧しい農民を救った甘藷先生で有名な青木昆陽。
元禄11年(1698)、江戸日本橋の魚屋佃屋半右衛門の家に生まれた。
町奉行大岡忠相の知遇を得て、幕府の書物方に取り立てられ、さらに書物奉行の要職にまで就きました。
晩年は目黒に移り、寂しい隠居暮らしを続け72歳で他界。彼が生前に、自ら 「甘藷先生の墓」と記した墓石を作らせ、それが目黒不動裏の墓地に残っています。
毎年10月28日 昆陽を偲ぶ「甘藷祭り」が行われています。

 

 

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本 居 長 世 の 歌 碑
 


「十五夜お月さん」 「赤い靴 」 「七つの子 」 など童謡の作曲で知られる本居長世。
その業績を称えた歌碑が、境内にあります。
不動そばの三折坂下に居を構えて、作曲に専念していたといわれています。

 

 

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独 鈷 の 瀧
 


境内には「独鈷の滝」があり、今では都内でめずらしい 湧き水の滝で、
今でも、不動講の人達の水垢離道場となっています。

慈覚大師が持っていた独鈷で地面を叩いたところ、霊泉が湧き、瀧となって流れ落ちたので、この名がついたという伝説があります。

 

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