明顕山 祐天寺

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木造祐天上人坐像


江戸名所図会に描かれた祐天寺


木造祐海上人坐像

本堂に木造祐天上人坐像(都指定文化財)、祐海上人坐像(区指定文化財)が安置されている

名所図会に描かれた祐天寺の境内の広さはもとより、付近一帯の土地を所領しており、
現在も祐天寺一帯の土地・学芸大駅付近までも土地を所有しており、
当時の繁栄ぶりがうかがえます


祐 天 上 人

上人は、陸奥国磐城郡新倉村に生まれた。幼名を三之助、字は愚心、
号を明蓮社顕誉という。

12才で増上寺内池徳院に入り得度し、のちに諸寺を遊学した。

将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、家宣らの帰依を受け、
幕府の命により下総大巌寺、弘経寺、江戸伝通院の住職を歴任し、
正徳元年(1711)増上寺第36世住職となった。

奈良大仏殿や鎌倉大仏殿の修復に功績を残している。
享保3年7月15日、82歳で歿した


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